「日本一ペン回しが上手い奴って誰?」

この記事はPEN SPINNING JAPAN CUP(ペン回し日本大会)の言い出しっぺであるYILMAZがペン回しやアート等の“個人の感性に評価が依存するモノ”に優劣をつけるということについてガチ(8000字くらいある)で考察したものです。※随時更新
無限に時間のある物好きの方だけ読んでください。

前の記事から来てくれた方へ
「魔法の鏡」をどうぞ。
JAPAN CUP議論フォーラム

追記:10/18
この記事を読まれた方で「ペン回しで上を目指すこと」そのものを私が否定しているという解釈をされた方がいらっしゃいました。これは全くの誤解です。誤解を招く表現があったことをお詫び致します。


ペン回しには「主観的な気持ちよさ」と「評価されたときの気持ちよさ」があると思うのですが、この記事では後者に限定して述べていきます。

また、「日本一上手い」に焦点を当てていますが、複数人優勝者が生まれる「部門分け 個人戦」について否定する意図は全くありません。むしろ賛成派です。


★読むの怠い人向け↓
・価値観は人それぞれなので厳密には「日本大会優勝者=日本一ペン回しが上手い」とは言い切れない。
・でも、やるからには「日本大会優勝者=日本一ペン回しが上手い」に極限まで近づけるように本気で取り組んでみたい。それがPEN SPINNING JAPAN CUP。
・JAPAN CUPの主催はJEBのユーザー全員。完全にオープンな議論を元にルール、審査方法を決めていく。2019年。日本一ペン回しが上手い奴、決めようぜ!


「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」


「ほぼ全ての人が納得できる世界で一番100m走が速い男 → ウサイン・ボルト」を決めることはできても、
「ほぼ全ての人が納得できる世界で一番美しい女性」を決めるのは不可能である。

そもそも「おいしい」「美しい」「上手い」「面白い」などという、評価が個人の感性に依存するモノ(以下、感性モノ)に優劣を求めるということ自体がナンセンスだ。
「おいしい」そんなの人それぞれ。多数決をとって何になるのか。

では仮にとったとしよう。
「これ世界中の人にアンケートをとって分かったんだけど。おいしいと感じてる人が一番多い食べ物ってコレなんだって。食ってみ?」→俺「まっず!!!!」
というように、最終的に好きと思うか嫌いと思うかは本人であり、他人の好き嫌いの情報は一切関係ない。関係ないというか、知らなくてもいい情報だ。
ってことは多数決いらないじゃん!(本質的にはね)

感性=好み、性癖、フェチと置き換えてもらっても良い。
余談だが、南米人はケツが好きで、日本人は胸が好きらしい。
「世界で一番エロい女性は誰?」 

★感性モノの例
・音楽
・映画
・お笑い
・食
・アート
・ダンス
・ペン回し
・人の目視による採点要素のあるスポーツ(フィギュアスケート、体操、スノーボードハーフパイプ)


“世界に一つだけの花”理論は正しいのか? 

“価値観は人それぞれなんだから、比べたって意味ないよ!”

“「皆違ってみんな良いんだよ!比べない方が平和だよ!”


この理論は正しいのだろうか。
俺は正しいと思う。理由は前述したとおり、本質的に意味がないからだ。
比べることを皆でやめれば、犬派猫派論争、きのこの山たけのこの里論争は無くなる。確かに平和だね。



では、これはどうだろうか?


“本質的に意味が無いんだから、大会もコンテストもランキングも、全部無い方が良いよ”
“価値観は人それぞれだし、みんな違ってみんな良い。だから「上手くなりたい」とか「かわいくなりたい」とかやめた方いいよ!”


この理論には十年以上ペン回しをやっている者として断固反対しておく。
人が心血注いでいるもの、競技としてある程度成立しているカルチャーを、「人それぞれ」を盾に否定しないでくれ!
スピナーにしても、ダンサーにしても、フィギュアスケーターにしても、「上手くなりたい」が原動力、本能だ。




上手くなりたい!そんなの当たり前だ。

本質的には無意味であるにも関わらず、なぜ人は感性モノをランク付け(競技化、コンテ
スト化)したがるのか。

それはズバリ。。

ロマンだ!

比較されること、比較することには、他にはないロマンがある。
価値観は人それぞれじゃんとか、みんな違ってみんな良いなんて話はとっくに承知の上だ。意味なんてどうだっていい。論争が起きるのはしょうがない。

どういわれようと、俺はひたすらに上手くなりたい。負けたくない。 


★比較されること
「可愛くなりたい!」「上手くなりたい!」
相対評価を完全に排除できない表現、分野においては、自己顕示欲=比較されること だ。YILMAZさんのFS良かったです!ってもっと言ってくれよ。


★比較すること
「新垣結衣と長澤まさみだったら、長澤まさみの方が可愛いよな!」
「アジカンのソルファってマジで名盤だよな!」
勿論意味なんてない。でもこういう話って面白いじゃん。
ペン回しの練習をするのはやめたけど、大会やバトルの動画、結果は気になる!
なんて人は結構いるのでは?


ロマンの体裁を整えたものが、ランキングであり、大会であり、コンテストだ。
そしてこれらが存在することで初めて「感性モノに優劣をつける」に意義が生まれるのである。



「感性モノにランクを付けること」の意義

★モチベーション/興行/娯楽
「フィギュアスケートで金メダルをとりたい!」
「今年のうちの学祭、ミスコンやります!」
「M-1、ジャルジャルに優勝してほしい!」

★データ/歴史資料
・「最近はどんな〇〇が良いとされているのか or 人気なのか」がわかる。
・映画や飲食店のレビュー、星の数は参考になる。
・企業やクリエイターはランキングからニーズ、売れ線を探ることができる。
・後から見直せば「当時はどんな〇〇が良いとされていたのか or 人気だったのか」がわかる。

★肩書/ブランディング
「私は絵画コンクールで一位になったことがあります!」
「うちの事務所のアイドルは厳しいオーディションを勝ち抜いた子達です!」
「うちの店はミシュラン三つ星です!」

思いつく限り書き出してみたのだが、結構ある。
フィギュアスケート競技もM-1グランプリもペン回し大会も、結局は「世界で一番エロい女性は誰?」と同じであり、本質的には意味はない。
それでも、やったらやっただけの価値は生まれるということだ。

そして、これらを開催する理由は比較のロマン、すなわち
「よくわかんねぇけど、なんかアツいから」
「現役のスピナーなら他の奴に負けたくねぇだろ!」
で充分なのである。


よし、2019年。「日本で一番ペン回しが上手い奴」決めようぜ。


感性モノにおける「大会」とは?

感性モノに優劣がつけられるスタートは多数決だ(オリジネーターによる布教もこれに影響を与える)。そしてその多数決の歴史の積み重ねが、その分野において、“なんとなく、こっちの方が一般的に良いとされている”という曖昧なセオリーを形成していく。

例)感性モノ「歌唱力」における曖昧なセオリー
・リズムと音程が取れている方が良い
・ビブラートやこぶしが入ってる方が良い
・声量は大きい方が良い
・高音域を出せる方が良い

結局のところ、感性モノの大会は「一番セオリーに近いやつが優勝」をやっているのであり、この場合の審査項目は「セオリー」を無理矢理言語化したものに過ぎない。
セオリー由来審査を行っている時点で、どんなにそれを公平に見せかけようとも、厳密には「世界で一番エロい女性は誰?」と同じことになる。フィギュアスケートや体操、スノーボートハーフパイプ等はまさにこれだ。

余談だがGoogleで採点競技と検索してみると、関連キーワードとして「スポーツじゃない」「嫌い」「欠陥」等が出てくる。要は、「世界で一番エロい女性は誰?」系の競技が野球やサッカー等と一緒くたに扱われることが不愉快なのだろう。


どのように優勝を決めるべきか

感性モノを競技化する場合の優勝者の決め方には次の4パターン(もしくはこれら複数の組み合わせ)がある。A~Cは感性の要素を排除しきれないため、どれも「世界で一番エロい女性は誰?」方式と言える。
一方Dは人の感性、好みを完全に排除する方式と言える。


A. オープンな一般投票(誰でもどこからでも投票可。)

★メリット
このルールに競技者、投票者全員が納得しているのであれば、文句なしの優勝者を決めることができる。また、Aは言わば現時点でのセオリーの調査であり、この結果はのちに歴史資料となる。
審査基準とか考えなくていいので楽。
俺は一般投票こそが「感性モノに優劣をつける」に最も適した方法だと考えている。その理由は後で説明する。

突然だが、2017年の好きな女子アナランキング1位は日テレの水卜麻美アナだったらしい。
皆さんはこれを聞いてどう思っただろうか?

俺はこう思った。
「へぇ。今は水卜アナが人気なんだ~。ちなみに俺的には元TBSのマスパンが最高だけどな!」

水卜アナのファンは嬉しいだろう。
では水卜ファン以外の人間はどうだろうか。ふざけんな!こんなランキングクソだ!と皆一様にブチギレているかというと、そうでもないはずだ。ただの人気投票、好みのアンケートなのだから仕方ない。俺的には○○アナの方好き~で終われるなら、なんのストレスもない。

実はこれが一般投票の最大のメリットであり、「感性モノに優劣をつける」に最も適していると考えられる理由だ。

望んだ結果になった人は嬉しいし、そうでない人も深刻に考えたりイライラしなくて済む。

水卜アナ以外に投票した奴=少数派=間違っている ではないように、感性モノの多数決において少数派に投票したことは、その人にとって何のマイナスにもならない。何度も言うが、感性モノにおいて多数派=“正しい” なんてことはない。「そのルール/審査方法における優勝者」が決まるだけだ。

一位になれなかった女子アナ(一般投票で順位をつけることに納得してた人)からしても、私の良さ伝わらなかったかな―、でもしょうがないな好みの問題だし。少数だったけど投票してくれたみんなありがとう!という感じで終われるならハッピーエンドだ。

★デメリット
特になし。「競技として成り立ってる感」は薄いが、みんなで楽しめればそれでいい!




B. 審査員に決めてもらう

★メリット
・著名な審査員を揃えると、イベントとして華やかになる。
・その分野において一流とされる審査員を揃えると「競技として成り立ってる感」を演出できる(例:M-1グランプリ、キングオブコント)
・その分野において一流どころか神、伝説のオリジネーターとされる人や、異論を唱えたら消されるレベルの審査員を揃えると、審査結果に圧倒的な説得力が生まれる。(例:JapEn複数回出演レベルの人に審査してもらう。Old Sclool部門を作ってレジェンドコリアンに審査してもらう)

★デメリット
・誰が審査員となるかによって結果が変わってくる。
・審査員と一般ユーザーの間で感性を一致させることなど不可能であり、結果や審査員に対する不満の声があがるまでがテンプレ。

それにしても2016年のM-1優勝銀シャリはおかしい。どう考えても和牛。
銀シャリに投票した審査員はクソ。
という感じで「審査員やシステムをユーザーが後から審査する」という構図が生まれてしまうのは非常に後味が悪い。



C. セオリーを基にした採点競技化

体操やフィギュアスケートで採用されている方式。
ペン回しにおける「上手い」のセオリーを分析、数値化し、これを採点基準とする。美しさや奇抜さ等の曖昧な表現は使用しない。

・切り返しは〇回以内だったら加点
・スプレッドの連打は〇回まで加点
・「突っかかり」「円軌道」等の定義を作る
・技ごとに難易度点を設定(難易度点が設定されていない技の使用は禁止。もしくは使用技リストの提出) 等 

完全な機械判定でペン回しを評価できない以上、上記のような項目を目視で採点する「審判員」が必要になる。「ペン回し審判員資格」的なものを作ったり、審判員への講習会を行ったりして、判断をできる限り統一させる。

★メリット
・評価する人の感性をだいたい排除でき、参加者全員が納得した優勝者を決定できる。
・体操やフィギュアからも分かるように、「競技として成り立ってる感」を演出できる

★デメリット
・とにかくめんどい。
・「勝つためのペン回し」をする人が増え、多様性、芸術性が失われる可能性がある。
・時代によってセオリーは変わっていくため、採点基準は度々見直す必要がある。採点基準の変更は競技者にとっては負担になり得る。
・セオリーと異なる思想を持っている人にとっては魅力のない大会になってしまう。



D. 感性モノじゃなくする = 陸上競技化

陸上競技化の例
・パームスピンの回転数で競う
・レイガンの飛距離を競う
・シャフィーボ100回タイムアタック

★メリット
感性、セオリーなど一切関係ない。あるのは個々のルール(競技)だけであり、そのルールの中においては文句のつけようのない絶対的な王者、もしくは記録が生まれる。数字として記録が残るため、挑み続ける楽しさがある。

★デメリット?
感性モノ(上手いor下手)としてのペン回しとは完全に切り離して考える必要がある。シャフィーボ100回タイムアタック記録保持者を「世界一ペン回しが上手い人」と言うのは、世界一量の多いラーメンを「世界一旨いラーメン」と言うのと同じくらい無理がある。



PEN SPINNING JAPAN CUPは
感性モノ競技界のパイオニアになれるか

JAPAN CUPは大会形式・審査方法・ルール等をすべて毎回多数決で決めていく。個人戦に至ってはまだA~Dのどの方式でやるかも決まっていない。
「ほぼゼロの状態から、オープンに議論を重ねて日本大会を形作っていく」という試みは単にペン回し界隈初というだけでなく、感性モノ競技界初かもしれない。これはペン回しが極めて小さなカルチャーであり、JEBという場があるからこそ実行可能な試みだ。

俺にとってのJAPAN CUPの定義はこうだ。
「その時点において、JEBユーザーの過半数が納得したルール/審査方法で行う大会」
これだけ。他の定義は一切ない。「日本で一番上手い奴決めようぜ」という表現は厳密に言えばロマン要素。本質的には優勝者=日本一上手いではない。

とはいってもやるからには優勝者=日本一上手い に出来る限り肉薄させたい

優勝者=日本一上手いに近づけるための取り組みは「日本大会」という冠をつける感性モノ競技なら最低限やってほしいと考えている。
「日本一」というブランドをかけて、誰よりも上手くなりたい!負けたくない!という現役スピナー達が、真剣勝負できる場所が作れたら最高。そして結果が出た後には後腐れなく、「良い大会だった」「フェアな勝負だった」と勝者、敗者、観客も納得しながら終われる大会。これこそが、俺の考える「感性モノ日本大会」の理想形だ。

【団体戦の議論トピック より抜粋】
団体戦について議論を行うためのトピックです。次回の団体戦運営者はこのトピックでの議論や、これに関連するアンケートを参考にし、必要に応じてルール等の変更を行います。
開催→議論→変更→開催…を繰り返していくことで、より魅力的で権威ある「日本大会」を皆で作り上げることが目標です。宜しくお願いします!


JEBに登録している人は、全員JAPAN CUPの議論に参加しているとみなされる。アンケートに回答しない、議論トピに何も書き込まないということは、「私はどんなルールでも良いです」「前回やったルールのままで問題ないです」と言っているのと同義になる。清々しいまでにオープンだ。


そして時期が来れば、「JEBユーザーの過半数以上が納得したルール/審査方法で行うペン回しの大会」が開催される。従来のJEBトナ、JapEn Cupでは企画を持ち込んできた主催者側の一存でルールが決まっていた。ユーザーはこれに応じるしかなかった。しかしJAPAN CUPは違う。主催はJEBユーザー全員だ。


感性モノにおけるセオリー(ユーザーが求める審査方法)は一定ではない。日本大会は国内におけるセオリーの移り変わりに対応していくべきである。議論フォーラムはこの点でも有用である。そしてフォーラムはJEBが消えない限りは半永久的に残る。議論と大会終了後のフィードバックはすべて、日本のペン回し界にとっての財産として積み上げられていく。

そしてまた次の大会もその時点までに積み上げられた財産を参考にしつつ、話し合いで決められた方式で開催される。


「優勝者=日本一ペン回しが上手い」に最大限肉薄できるのは、この議論フォーラムを使ったやり方。PEN SPINNING JAPAN CUP がベストだと考えている。


でも結局は多数決なんでしょ?

まぁそうだよ。しかし「多数決でルールを決めること」と「多数決・セオリーで優勝者を決めること」は別物だ。多数決の結果、今年はD方式(陸上競技化)にしよう!と決まればそれでやるし、今年は反セオリーっぽい審査基準作ってみよう!と決まればそれでやる。

とにかく大事なことは「エントリー受付開始の“前”に充分に議論をしてルールを確定させておく」ということだ。先ほどB方式(審査員制)の例でも書いたが、結果が出た後に審査方法に関する批判がでると非常に後味が悪い。批判する側はイライラし、運営側もその都度悩まされる。優勝者だって、あいつは真の一位ではない等とレッテルを貼られたら可哀想だ。結果、皆で無駄に神経をすり減らすことになる。

しかし、先に話合って決めておけば、そのルールに納得した人だけがエントリーするようになるので批判は出にくくなる。出たとしても負け犬の遠吠えにしかならない。このルールに納得してたから出場したんでしょ?と。



体操はマジで凄い。

俺の感覚では「内村航平=金メダル=世界で一番体操が上手い」に限りなく近い。それは、体操という競技がフェアなルールで行われていると感じているからだ。感性の要素を極限まで排除し、厳格な採点基準で体操を競う。感性モノ競技の究極系だと思う。オリンピックに採用されるのもうなづける。

体操やフィギュアの採点方法を見習えというわけではなく、ペン回しの大会でも「優勝者=ペン回しが一番上手い」という感覚を追求することが大切なのではないだろうか。

望んだ結果が出る事と結果に納得することは別物

まず、「内村航平金メダル!」の結果を受けての競技者および観客の反応は2択だ。
・だよな!内村の勝ちだ!(望んだ結果)
・えー、オレグ・ベルニャエフの方良かったけどー(望まなかった結果)


次にこの結果に納得できるかどうかの2択が発生する。

★望んだ結果の場合
・勝者/観客A
仮に「内村優勝は合ってると思うけど、ここの採点はよくわかんなかったな」という大会への意見を持っていたとしても、よっぽどの誤審でない限りは「結果を覆せ!」とは思わない。望んだ結果なのだから。
→結果に納得


★望まなかった結果の場合
・敗者/観客B
採点はフェアだ。共通のルールで正々堂々戦ったのだから、内村を称えよう。
→結果に納得

・敗者/観客C
採点おかしいだろ!ルールにも問題あるぞ!
→結果に納得できない


感性モノの大会ではこの敗者/観客Cをいかに減らすかがポイントになると考えている。もしも敗者/観客Cがゼロならば、その日本大会の優勝者=日本一○○が上手いがほぼ100%成立することになる。

俺自身、M-1グランプリ(漫才日本大会)を見た後に観客Cになっていることがある。観客Cは「今大会の審査員はクソ」「ルール変えろ」といった感情を抱く。

お笑いが感性モノである以上、結果は審査員とルールに依存している。
「その審査員、ルールの中では○○の優勝」という事実は絶対だ。その中で「ルールを変えろ」というのは「俺は“面白い”をよくわかっていて、俺が一番面白いと感じた奴を優勝にすべき」と言っているのと一緒だ。

じゃあ俺は、あるいは敗者はどうすれば敗者/観客Cにならずに済んだのか。必死に妄想し、たどり着いた結論がこれだ。

「M-1グランプリの主催者側に入る」

主催者側に入るということは、ルールや審査方法を決める話し合いに参加するということだ。“日本大会の”主催者側としてやるべきことは「優勝コンビ=日本一面白い漫才コンビ」に極限まで近づけることだ。つまり「何をもって面白いとするか」の多数派の意見を採用することは正当な判断と言える。(結果的にどうなるかは誰にもわからないが)

仮に自分が少数派であったとしても、主催者側なのだから、納得するしかない。「自分の考える“面白い”の価値観は実は少数派だった」ということを自覚できたことが大きな収穫なのだ。話し合いに参加できたという満足感もある。

決勝 サンドウィッチマン VS キングコング
俺自身はサンドの方が面白いと感じたが、結果はキングコング優勝だったとする。
俺はお笑いに対して真剣である。長年お笑いを見てきた経験からか、「面白い」に他の人よりも精通しているような感覚、絶対的な信念を持っている。この感覚はどうしようもない。
しかし、このルールが自分も含めた主催者側の総意だったはずだ。「優勝コンビ=日本一面白い漫才コンビ」に極限まで近づけられるように真剣に話し合った結果ではないか。
そしてこの話し合いの中で自分の価値観が少数派であるということを自覚できている。

この場合なら、俺は観客Bになれると思う。
「その審査員、ルールの中では○○の優勝」は絶対だ。俺一人がどう思うかはともかく、「優勝→キングコング→皆で話し合って決めた“日本一面白い”像に限りなく近いコンビ」という事実だけは確か。これなら受け入れられるのではないだろうか。


もう一度言う。JAPAN CUPの主催者はJEBユーザー全員だ。




「多数決でルールを決めること」は少数派への優しさ

方式A(オープンな一般投票)のところで述べたが、多数決は感性モノの優勝者を決めるのに最も簡単で平和な手法だ。優勝者を決める時だけでなく、ルールを決める時にも有効である。

例えば「来年の個人戦は多数決の結果RSVPMX限定のルールになりました!」となったならば、俺は全く回せないので出場しない。だからといってルールにキレたりもしない。VP好きな人多いんだな~。大会出ない分CVがんばろ~程度。女子アナランキングの時と気持ち的には同じだ。しょうがない。話合いの結果なんだから。

ただ、中にはこんな意見があるかもしれない。
「RSVPMX限定大会での優勝者=日本一ペン回しが上手い奴 みたいな表現、考え方はやめて!KTしか回せない人だっています!」

しかし、返してあげられる言葉はこれだけだ。
「すみません、これがJEBユーザーの総意なんです。」

先ほども書いたがJAPAN CUPはいつ、どんなルールであろうとも「優勝者=日本一ペン回しが上手い」に最大限肉薄することを目指した大会と言える。結果的に少数派の価値観を排除することにはなってしまう。しかし、これを全否定しだすと、この記事の冒頭で示した「人それぞれだから大会なんてやめなよ」理論に帰ってきてしまう。キリがない。フィギュアスケートも体操も何もできなくなる。

今回の例の場合、雰囲気的に「RSVPMX限定日本大会での優勝者=日本一ペン回しが上手い奴」っぽい雰囲気になってしまうのは仕方ない。
ただし、優勝者を上手いと思うかは人それぞれ。感性モノの大会は本質的な優劣を決めることではなく、「上手くなりたい」「上手い奴を決めてみたい」というロマンのためにあるということを思い出してほしい。感性モノの大会名や謳い文句に「日本」を使用すると、一部の人には不快な思いをさせてしまうかもしれないが、これを完全に回避するのは難しい。
回避するには「日本、上手い、最強というようなロマン的表現を一切使わない」か「競技者および観客の100%が納得したルールを作る」以外ない。

少数派意見に対し、「すみません、これがJEBの総意なんです」と議論フォーラムを根拠に説明できる、という点は今までのペン回し大会にはなかった特徴である。「なんとなく、世の中的にこっちの審査方法の方が良いって言われてるんで…」という曖昧な答えしか提示されないよりはクリーンな感じがする。

「自分の好みは実は少数派だった」ということをなんとなくの雰囲気ではなく、議論フォーラムを通じてハッキリ自覚できるという点は、メリットにもなり得ると考えている。(少数派に入ることって嬉しいよねとは言ってません)

どうやら自分の感性は少数派だったようだ→次にとる行動は?
・俺が今まで評価されなかったのはこれが原因か。みんなの好みに合わせるように頑張ってみようかな!(モチベアップ)
・CVとか別のところで活躍しよう!(シフトチェンジ)
・少数派向けのイベントを開いてみよう!(シフトチェンジ)
・今年のルールは自分の思想と合ってないみたいだから、時間を使ってまで動画見に行かなくてもいいや(時間と労力の節約)
・どうしても納得できない部分があるので、みんなに向けて意見を投稿しよう!
※ルール確定後の変更はできないが、次回大会に向けた意見やアイデアの投稿は大歓迎。議論フォーラムは誰でも、いつでも使用可。

大会開始前に少数派を自覚できるからこそ、次に自分が取るべき行動の計画を立てやすくなるというわけだ。「自分の価値観として上手いと思う動画」を提出し、負けてから「なんだよこの大会クソかよ。お前らペン回しのこと何も分かってないなー」とイライラしなくて済む。


団体戦2018ルールがもたらすもの


ここで今年の団体戦(一般の部)決勝トーナメントの大会形式について振り返ってみよう。
団体戦2018は従来のペン回し大会にはなかったルールを採用した。先ほど4つ挙げた中ではB方式(審査員制)に近いのだが、完全に同じではない。では、どんなものだったか。

やっていたことは、まさしく料理対決だった。

ラーメンに例えてみる。(FS動画はラーメン、スピナーはラーメン職人)

・1チームあたり職人は6名。
・チーム戦は 1vs1 ×3試合で構成され、このうち2勝したチームの勝ち。
・1試合を1人の審査員が担当し、どちらのラーメンが美味しかったかを主観のみで判定する。
・判定の理由も公開される。(なぜこっちのラーメンの勝ちにしたか)


審査員3名には事前にそれぞれの好み(審査のポイント)を明らかにしてもらい、ラーメン職人たちはこれを参考にラーメンを作る。

第一試合担当 審査員A:濃厚豚骨大好き。麺は細麺派。
第二試合担当 審査員B:魚介系が好き。チャーシューにこだわりアリ。
第三試合担当 審査員C:味噌より醤油派。ネギが少し苦手。

「どの人に誰のラーメンを食べさせるか」を選択できるシステムになっている。
「○○さんは豚骨ラーメン作るの上手いから第一試合に出て!」というように各々の得意ジャンルを元に戦略を立てることができる。

従来の大会が「どのラーメンが人気なのか」のアンケートだったのに対し、今大会は「ラーメンを作る総合力」で競っていたのだ。料理対決と表したのはこのため。
今までは「自分が旨いと思うラーメン」を作っていれば良かった。しかし今大会ではその審査員1人の舌に合ったラーメンを提供しなければならない。まさに経験、知識、技術、戦略の全てが問われる競技だった。



料理対決方式が示す、ペン回しの新たなスタートライン


(あくまでオンラインに限定した話です。)

動画を作品として捉え、その趣を楽しむ、純日本的なペン回しカルチャーは今円熟期に突入している。よくレベルの高いものをアートだと言ったりするが、そんなものでは済まされない。日本トップ層のFS動画に対する思想は哲学、悟りの域に達してきている。

この記事の冒頭で、ペン回しは「主観的な気持ちよさ」と「評価される気持ちよさ(比較のロマン)」からなると述べた。ペン回しを長年続けている人の多くが比較のロマン(他の人より上手くなりたい。JapEnに出たい。)を感じている。もしくは感じていたはずだ。
たとえ歴を積んだとしても、上手くなりたいという気持ちが少しでもあるうちは、人気投票系の大会でも純粋に楽しむことができる。

では、すでに「上手くなりたい」という過程を通過し、充分に評価され続け(信者やファンを擁し)、哲学レベルに至ったトップ層にとってはどうだろう。
全体に占める「主観的な気持ちよさ」の割合がだいぶ多くなってきているのではないだろうか。(悪い事ではない。歴を積んで割合が変わってくるのは仕方ない。)

・主観的な気持ちよさ、嗜好品感覚だけでやってるので、もう大会とかCVとかどうでもいい。たまに動画はとるけどね。
・俺のペン回しはアート作品だ。アート作品を公開することに意味があり、評価されようと思ってやってない。他人の価値観、JapEnやSoYの順位にも興味が無い。結果的に一部の奴に良いと思ってもらえればそれで充分。

歴が長い人ほど、この傾向にある気がする。
俺が懸念しているのは人気投票系のルールは、こうした歴の長い人にとって物足りないのではないかという点だ。せっかく大会をやるなら盛り上がってほしいし、歴など関係なく楽しんでほしい。

そこで生まれたのがこの料理対決ルール。「FS動画で競う」という昔ながらの形を残しておきながら、その実態は人気投票ではない。

“JapEnに10回出演 =日本の最高に旨いラーメン屋に10回ノミネート” 
確かにこのラーメン屋の世間からの評価は最高レベルかもしれない。
しかし、濃厚豚骨アンチの審査員に、濃厚豚骨ラーメンを提供したら即敗退だ。
「なんで負け?こっちの方旨いに決まってるでしょ!10回もノミネートされた自信作なんですよ!」とアピールしたところで負けは負け。審査員も事前に好みを公表しているので、叩かれる筋合いはない。
このようにJapEn10回出演レベルの実力者だろうとザコテだろうと、このルールにおいては皆同じスタートラインに立っている。今までの世間の評価、常識、多数決なんて、一人の人間の好みの前では何の意味も持たない。これなら歴の長い人や今まで十分に評価されまくってきた人でも、心機一転で楽しめるのではないだろうか。
しかも審査員を変えれば何回でも遊べる。「感性モノの順位付けって結局審査員の好み次第じゃね?」に対する究極の開き直りだ。

たとえ人類の99%がトマト信者だったとしても、俺とhalcyonは出されたトマトを絶対に食わない。



最後に


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

勘違いしてほしくないのは、JAPAN CUPはYILMAZ1人のものでは無いということです。

元々JAPAN CUP案は私の妄想としてサイトに公開されました。その後、JEBのイベント係(2018)であるyngsさんから正式採用の打診を受け、これに私が快諾したことで開催に至りました。私は便宜上、アカウントを所有し、トピックを立てる等の手伝いはしていましたが、その実態(JEBにJAPAN CUPが存在することや、ルール等)については何の権限も持っていません。
無事2018年大会を終えることができ、yngsさんはじめ、大会関係者、ユーザーの皆様には本当に感謝しております。

終わった後ではありますが、もともとのJAPAN CUPの発案者としての考えを明らかにすべく、この記事を投稿しました。記事を書くにあたり、今までなんとなくで捉えていた「上手い」や「ペン回しで大会を開くこと」に対して真剣に向き合い、文字に起こすことで自分の思想、考えを整理することができました。
この記事の内容は、あくまでいちユーザーとしての考えであり、「今後JAPAN CUPはこうしていくぞ!」という決意表明やお知らせの意味はないのでご注意を。

PEN SPINNING JAPAN CUPという新たなイベントが始動したこのタイミングで、皆さんも自分の考えを整理してみてはいかがでしょうか。
皆にアピールしたいことがある方はぜひ、議論フォーラムを活用してください。
フォーラムが設置されたことで、各々の考えが可視化されるようになりました。今後JAPAN CUPが廃止になろうと、その姿が様変わりしようと、それがJEBユーザーによる議論の結果であるなら、私はそれがベストだと考えます。

今、JAPAN CUPは全員の手の中にあります。
思想をぶつけ合うことがカルチャーの未来にとっていいかどうかは分かりません。それでも私には「上手くなりたい」「JapEnに出たい」と言って真剣に始めたはずのペン回しが「人それぞれ」の5文字で終わって良いものには思えないのです。

YILMAZ